医療分野への人工知能(AI)の応用は大きな可能性を秘めたテーマですが、研究開発に重要な役割を担うステークホルダーが、個々に課題を抱えている状況です。医師などの医療者(医療機関)は、医療の課題や問題(ニーズ)を熟知し、豊富な医療データやアイデアなどを有してはいるものの、AI技術の活用方法やITベンダーとのネットワークが乏しく、具体的な研究開発に着手できない状況です。一方、AI技術を有するITベンダーは、成長が見込める医療分野への応用に興味はあるものの、医療者(医療機関)とのネットワークが少ないため、医療ニーズや医療データの取得が困難です。さらに薬機法など薬事行政の経験も不充分なために実用化は簡単ではありません。また、AIの医療応用を事業化したいと考える出口の製薬・ヘルステック企業も、研究から事業開発までを自社単独で全て対応することは時間的にもリソースの観点からも困難な場合も多いです。課題を有する医療者(医療機関)、AI技術を有するITベンダー、出口の製薬・ヘルステック企業が当初から連携し開発を進める枠組みが重要になります。そのためにも、異分野分業のオープンイノベーションが重要で、医師に加えて、データサイエンティスト、AI研究者、薬事専門家が連携して取り組む必要があります。
現在、呼吸機能検査診断、維持血液透析医療支援、糖尿病治療支援、嚥下機能低下診断、乳がん病理診断、心臓植込みデバイス患者における不整脈・心不全発症予測、人工心臓患者における血栓発生予測などのプロジェクトに取り組んでいます。
慢性腎不全患者は、廃絶した腎臓の代わりに水と老廃物の除去を行うために週3回、生涯にわたって維持血液透析を受けます。患者数は33万人を超え、医療費は1兆円を超えます。除水不足は心不全、高血圧等心肺機能に障害を与える一方、過度な除水は透析中の低血圧を生じ、気分不良、意識消失といった有害事象をもたらします。通常、透析病院では数十名の患者を対象に、1名の医師、数名の看護師や臨床工学技士を中心に管理が行われていますが、人的資源は充分ではなく、透析中に発生する有害事象の発生は、少ない人的資源を消費し、患者の生命予後にも悪影響を及ぼすために、重要な医療課題となっています。
当研究室は、安全安心な血液透析を実現するために、適切な目標総除水量や透析中の血圧低下を予測するAIを搭載するプログラム医療機器を、大学病院、民間透析クリニック、NEC、NECソリューションイノベーターと共同で開発しています。透析専門医の経験知(約2,800名、725,619回の透析実施記録)を学習することにより、当日の目標総除水量をコップ1杯程度の誤差で予測可能であり、透析中血圧低下(20 mmHg以下)の発生に関しても透析開始前にAUC 0.91の精度で予測するプログラム医療機器が開発できています。
透析治療は専門性が高く、非専門医等では経験豊富な透析専門医と同様な除水量設定を行うことは難しいです。しかし、透析専門医数は充分ではなく、地方や夜間では非専門医が従事することが多く、多くの透析施設では透析専門医の指示の下で非専門医や経験豊富な看護師、臨床工学技士が除水量設定の補助をしているのも現状です。本プログラム医療機器は、少ない人的資源で透析診療に携わる医療従事者の負担を軽減でき、安全安心な透析治療の実施を可能とします。
糖尿病患者数は国内で1,000万人以上と予想され、糖尿病治療を取り巻く治療薬も次々と開発され、治療のオプションが急激に拡大しています。糖尿病の血糖値を厳格にコントロールし、糖尿病合併症を予防するためにはインスリン注射治療が必要です。しかし、インスリンの安全な用量域は狭く、過剰投与で低血糖を生じるために、患者ごとに最適な種類と投与量を選定する必要があります。一方、糖尿病専門医は医師全体の2%もおらず、地理的にも偏在しているため、現状では糖尿病患者の主治医が糖尿病専門医であるとは限らず、むしろ非専門医に受診することが多いです。
当研究室は、NEC、NECソリューションイノベーターと共同で、糖尿病専門医の治療を模倣し、血糖値から最適な超即効型インスリン(朝・昼・夕)及び時効型インスリン(就寝前)の投与単位を提示するプログラム医療機器を開発しています。本プログラム医療機器を臨床現場で活用することにより、糖尿非病専門医にも専門医レベルのインスリン治療を実行できるよう支援することができます。ディープラーニングをベースにしたスキル獲得学習「SAiL(Skill Acquisition Learning)」を基に、糖尿病インスリン投与量予測に最適化するため、医師やAI研究者と共同でカスタマイズを行い開発した「DM-SAiL」を活用しています。 東北大学病院に入院する患者データに基づく開発が終了し、専門医の処方するインスリンの投与量から2単位程度の誤差で予測するAIが開発出来ています。
加齢に伴い口腔機能が低下しますが、その状態(オーラルフレイル)を放置すると摂食障害や構音障害など多くの身体的、社会的障害、さらには全身性の筋肉虚弱(フレイル)につながるため、早期の診断と適切な処置が重要です。高齢社会において口腔機能低下のひとつである摂食嚥下障害は増加しており、高齢者の主な死因とされる肺炎の約7割が誤嚥によって生じているとの報告もあります。誤嚥性肺炎の予防には嚥下機能低下の早期発見とリハビリテーション等の治療介入が重要ですが、現在の嚥下機能評価方法は、嚥下内視鏡検査、嚥下透視検査方法等患者負担の大きい嚥下評価法しかありません。嚥下と会話で使用する器官は舌や口腔・咽頭等共通部分が多く、会話から嚥下機能を評価できる可能性に着目し、嚥下機能障害を会話時の音声データから評価可能なプログラム医療機器を開発しています。
当研究室は、複数の診療科(耳鼻咽喉科、歯科、医工学部リハビリテーション科)及びNECと共同で、東北大学病院嚥下治療センターに受診する患者の話す音の全周波数の時系列データの分析に特化したAIエンジン(時系列モデルフリー分析)を用いて解析しており、現時点で、健常者の音声のベースライン(性差、年齢差、個人差等)を確認し、健常者の発音と患者の発音の違いを検出し、嚥下機能の低下を診断するAIが開発出来ています。今後、嚥下機能低下を有する高齢者医療データをさらに学習させることで、実用化に向け開発を進めます。本プログラム医療機器が実用化されれば、誤嚥性肺炎等を生じる可能性のある嚥下機能低下患者を簡便かつ早期に診断することができると期待されます。
世界保健機関(WHO)では、がん・糖尿病・循環器疾患に加えて呼吸器疾患を重要な非感染性疾患(NCDs)として考えています。代表的な呼吸器疾患は、慢性閉塞性肺疾患(COPD)、喘息などです。厚生労働省「健康日本21」の改定でも、COPDは重要な疾患として取り上げられ、「肺の生活習慣病」と言われています。しかし、呼吸器機能を診断する検査の普及が不充分なために、COPDなど呼吸器疾患の有病率、罹患率、死亡率などは明らかでは有りません。呼吸器疾患や呼吸器機能の検査の中でスパイロメトリーが最も重要ですが、その普及は進んでいません。被験者(患者)の協力(努力呼吸)が必要である点に加えて、正しく検査が行えたかどうかを判定し、かつ出力された結果(フローボリューム曲線)を解釈することが非呼吸器専門医には難しいためです。非呼吸器専門医でも簡便に結果解釈できるシステムの開発は、呼吸器疾患を診断し、早期治療を行う上で重要な医療課題と考えられます。
当研究室は、京都大学及びNECソリューションイノベータ株式会社と共同研究で、スパイロメトリーの検査結果(フローボリューム曲線)から得られる情報を用いて、呼吸器疾患及びスパイロメトリー検査時のエラーを判断するAIアルゴリズムを開発しています。
スパイロメータの結果を自動解析するプログラム医療機器の開発により、検査の解釈が非専門医でも可能となり、呼吸器疾患の早期診断、早期介入が期待されます。
・乳がん病理画像診断AI
乳がんは日本人女性のがんの中で最も患者数が多く、生涯に乳がんを患う日本人女性は11人に1人と言われています。しこりや画像診断等で乳がんが疑われた場合、最終診断は病理診断ですが、診断には経験を積んだ病理医が必要です。当教室は病理画像から乳がんの病変部を検出するAIを開発しています。現在、探索研究段階では、検出モデルを3クラス(良性、非浸潤がん、浸潤がん)または2クラス(良性、悪性)で分類し、それぞれ88.3%と90.5%での診断精度を達成しました(科学誌『Journal of Pathology Informatics』 に掲載)。今後、乳がん領域では「術中迅速病理検体」を用いたAI診断の開発にも取り組む予定です。
・心臓植込み型デバイス患者における不整脈・心不全発症予測プログラム医療機器
心不全患者には植込み型除細動器(ICD)、両心室ペースメーカ(CRT-P)など心臓植込み型電気デバイスが広く使用されます。これら心臓植込み型電気デバイスを活用することで、自宅にいながら、刻々と変化する生体情報の経時的な遠隔モニタリングが可能となります。当教室は心臓植込み型電気デバイス患者の遠隔モニタリング情報を活用し、心不全及び致死性不整脈の発症を事前に予測するAIを開発しています。