我が国を含めて先進国は超高齢化に直面しており、老化は医学的のみならず社会的にも喫緊の課題となっています。当教室では、細胞の老化(Senescence)を分子レベルで明らかにし、組織や個体の老化(Aging)に関連する疾病を治療する医薬品を開発し、究極的にはヒトの老化を改善するためのイノベーションに寄与したいと考えます。
細胞の老化(Senescence)
腫瘍細胞を除いて、生物の細胞は細胞老化(Replicative senescence)と呼ばれる現象のために、無制限に増殖できません。この現象には、遺伝子のテロメア長の短縮、更にはp53などの細胞老化因子が関与します。老化した細胞は、p53に加えてプラスミノーゲンアクチベーターインヒビター(PAI)-1の発現が極めて高いことが分かっていますが、p53やPAI-1を抑制することで、細胞老化の現象は阻害できることが明らかになりました。
組織や個体の老化(Aging)
細胞のみならず、老化した組織や個体(klothoマウス、早老症として有名なウェルナー症候群のヒト)でも、PAI-1の発現が高いことが報告されました。米国ノースウェスタン大学との共同研究で、老化モデルとして有名なklothoマウスでは、PAI-1の発現や活性を遺伝子あるいはタンパク質レベルで阻害することにより、老化の主症状を改善できることを明らかにしました。
加齢に関連する疾患
加齢と共に、がん、血管(動脈硬化)、肺(肺気腫、慢性閉塞性肺疾患)、代謝(糖尿病、肥満)、腎臓(慢性腎臓病)、骨・関節(骨粗鬆症、変形性関節症)、脳(脳血管障害、アルツハイマー病・認知症)などの関連した様々な疾患が発症します。興味深いことに、これら疾患の組織ではPAI-1の発現は極めて高く、PAI-1阻害薬を投与することで病態が改善できることが明らかとなりました。
長寿家系の疫学的調査
米中西部に暮らすキリスト教の一派アーミッシュの人々の健康な老い方については、10年以上にわたって研究が行われました。米国ノースウェスタン大学との共同研究で、アーミッシュコミュニティーの人々を調査し、PAI-1遺伝子を持たない人(56名)は、持っている人(165名)に比べて10年長生きすることを見出しました。また、欠損する人々は糖尿病など病気にもかかりにくいことも分かりました。この事実は、2017年11月にニューヨーク・タイムズ始め、多くの新聞で報道されました。このヒトでの疫学調査は、細胞やマウスでの実験結果を裏づけています。
PAI-1は血栓の分解(線溶系という)に必要な分子ですが、近年では老化(加齢)に関連して発症する種々の疾患に関与することを強く示唆する一連の知見が明らかとなっており、創薬の標的と考えられます。しかし、これまでヒトのPAI-1分子の活性を阻害できる医薬品は、臨床応用されていません。当研究室では、加齢に伴い生じる一連の疾患を治療できる可能性を持ったPAI-1阻害薬の開発に取り組んできました。
ヒトのPAI-1分子の結晶構造を基に、コンピューター工学を利用した約200万バーチャル化合物ライブラリーの探索から約96個のPAI-1阻害候補化合物を取得しました。PAI-1活性阻害作用(PAI-1による組織プラスミノーゲン活性化因子(tPA)阻害抑制)及びPAI-1/tPA複合体の形成阻害を指標として、新規阻害化合物を10年以上かけてこれまで1,400個以上合成スクリーニングし、さらにそれらの活性や安全性などを評価する中で、安全性に優れた経口投与可能な臨床開発候補化合物TM5614を取得いたしました。TM1564はPAI-1のビトロネクチン結合部位に結合することが示されました。
リード化合物であるTM5275から合成展開を行い、4つの臨床候補化合物TM5441、TM5484、TM5509、TM5614を取得しました。これらは、経口吸収性や体内動態(組織移行性)などそれぞれに特色を持つ化合物で、異なる適応症において有用と考えられます。
過去に国内外大手を含む多くの製薬会社やバイオベンチャーが低分子PAI-1阻害薬の創製に挑戦しました。幾つかの薬剤はマウスやラットの動物モデルで有効性が報告され、Wyeth社(現Pfizer社)の製品PAI-749(Diaplasinin)は臨床ステージまで進みましたが、臨床第Ⅰ相試験で開発は中止されました。これまでサルの病態モデルで薬効を示す論文は、当研究室のTM5275しかありません。経口での吸収性が極めて高い低分子化合物のために、経口投与でも十分な血中濃度に達します。薬効、動態、安全性、物性の指標でスクリーニングし、最終的に選択された臨床開発品がTM5614です。探索からGLP非臨床安全性試験、GMP合成・製剤、医師主導治験まで、一貫して当研究室で開発しました。
TM5614は、非臨床試験では加齢に関連する疾患に広く有効である可能性が示唆されていますが、現在臨床試験(医師主導治験)としては、がん領域では慢性骨髄性白血病(CML:前期及び後期第Ⅱ相試験終了、第Ⅲ相試験実施中)、悪性黒色腫(メラノーマ:第Ⅱ相試験実施中)、非小細胞肺がん(第Ⅱ相試験準備中)及び血管肉腫(第Ⅱ相試験準備中)を対象とし、呼吸器疾患では新型コロナウイルス感染症に伴う肺傷害(前期及び後期第Ⅱ相試験終了)、全身性強皮症に伴う間質性肺疾患(第Ⅱ相試験準備中)及び抗がん剤による間質性肺炎(非臨床試験予定)を対象とします。それ以外には、FGF23関連性低リン血症性くる病(臨床研究)が対象です。TM5441は、男性型脱毛症治療(第I相試験準備中)が対象です。